魚嫌いの漁師
誠也さんは大阪に住んでいる会社員である。
誠也さんの実家は大阪であるが、本家は山口県の某市、町全体が漁業を生業にし てる港町にある。夏冬の長期休みには、家族で本家に二週間ほど里帰りするのが毎 年の恒例である。
本家の家長である誠也さんのおじさんは、家業の漁師を継いでるのだが、たいそうな魚嫌いだという。獲るのは得意だが、絶対に食べない。周りから
「漁師のくせに魚が食えんのか。」
とやじられても断固として口にしない。誠也さんも魚が苦手なため、本家にいる間にはおじさんと一緒にみんなと別の食事を作ってもらってた。親戚の中で唯一の魚嫌いどうし、可愛がってもらっていたそうだ。ただ、祖母や父親が言うには、おじさんは誠也さんとは違い元は魚を食べられたらしい。むしろ港町の子供らしく魚が大好な子で、よく自分で釣りに行ってはさばいて食べていたということだった。
ところが、おじさんは中学生のころ急に魚を食べなくなった。初めはふざけているのかと思って叱ったらしいが、おじさんは本気だった。誰にも魚を食べない理由を話さないまま、おじさんは高校を出て家を継ぎ漁師になった。
なぜ魚を食べないのか、誠也さんは一度興味本位でおじさんに聞いてみたことがある。おじさんはしばらく考えた後
「ええか、誰にも言ったらあかんぞ。」 と言って、数十年以上、誰にも言わなかった内容を彼に話してくれた。
本家のある町には、海に面して小さな神社がある。その神社は海の神様を祀って おり、一帯の海を荒らしていた妖怪を、ある祈祷師が鎮めたという伝承に由来している。伝承で祈祷師は妖怪と話し合い、神としてあがめる約束をした。人の代わりに毎年魚を供物として捧げ、社を立てることで海神として信仰すると誓った。妖怪はそれを承諾し、集落の人は海神様の恩恵で食うに困らぬ暮らしをできるようになった、と言われている。この話は市の伝承資料にも載っているし、毎年祭りも開かれるので誠也さんも知っていた。祭りは、海神様と祈祷師のやりとりを再現した舞を踊り、舞の最後に漁師の一人が魚をもって奉納するというシンプルなものだった。
そして、この祭りで奉納される魚は、一カ月前から専用のいけすで飼育される。いけすは神社の裏手の海にあり、しめなわで周りを囲んでいるため神主以外は入れないようになっている。魚の選定は、神主が祭りの一カ月前までに各家のいけすと捕った魚の中を見て決めるらしい。誠也さんの本家も、漁の他に小規模で車エビや魚を養殖しており、よくそこから魚を納めてた。
おじさんが中学生のころ、祭りの裏方として駆り出された。舞に使う衣装を運ん だり、小道具を片づけたりといった雑用が主だった。やるこが無くなると、
「屋台でなんか食ってこい」
と小遣いを渡された。ところが、おじさんはそこで屋台には向かわずに、奉納用のいけすへ向かった。祭りの最中はいけすの周りから人がいなくなる。神社の裏から回っていけば、誰にもばれずにいけすまで行けると雑用中に気づいたらしい。前々から奉納用のいけすを一度見てみたいと思っていた。
わくわくしながら桟橋を渡り、いけすに着くと中を覗き込んだ。しかし魚は一匹も見えない。夕方とはいえまだ日は高く、水面に陽がさしていた。光にきらきら反射する魚の背も何も見えない。
(もう全部持ってっちゃったのかなあ)
そう思い落胆しながら帰ろうとすると、背後から
パシャッ
と何かが跳ねる音がした。水面に向きなおり再び目をこらすと、いけすの中を黒い 魚影が横切った。だがその陰は妙にゆらめいている。 (何の魚やろ、あんな形の、見たことない)
好奇心を抑えられなくなったおじさんは、脇にかけてあった網をもって、近くに来た一匹をすくってみた。罰当たりなことに、珍しい魚なら食べてやろうと思っていたらしい。
すくいあげた網の中を見ると、魚一匹とたくさんの海藻が入っていた。というより、魚に海藻が絡みついていた。 (これはどういうことだ、こんなにたくさん引っ付いてよく泳げたなあ。)
おじさんは不思議に思いながら、海藻をとり魚を見ようとしたが、とれない。引っぱっても魚ごとズルズルと、網から浮いてしまった。しかたなく魚をいったん板の上に置いてから見てみようとする。そこで、はっ、と手が止まった。これは海藻ではない。
人の髪だ。
網越しではわからなかったが、陸に挙げると分かる。水にぬれ、テラテラと鈍く光る人毛であった。しかも、その髪は魚に絡みついていたのではなく、魚から、背びれの少し上あたりから生えていた。混乱する頭を整理しようとして固まっていると魚がビチビチと跳ね、その拍子にぐるりと傾き隠れていた全身を見せた。
呼吸に合わせて上下する腹と、むなびれのの代わりに透明な、五本に分かれた指が見えた。人の手だ。おじさんはそう思った。薄っぺらい人の手が魚の腹にくっついている。いや、手だけじゃない。目だ、目もどう見たって人間の目玉じゃないか。こげ茶色の瞳に、まぶたがないためか、大きくなった瞳孔までよく確認できた。
(これは魚じゃない。まるで出来損ないの人間だ。)
おじさんは確信し、とたんに恐怖がこみあげてきた。ビチビチ跳ねている人もどきを、足でいけすに蹴り戻すと、急いで家まで走り帰った。その夜は、何度もあの魚の目を思い出し、眠れなかったそうだ。
それ以来、おじさんは付近でとれた魚はもちろん、よその魚さえも食べられなくなった。口にしようとすると、あの異様な姿を思い出してしまうらしい。誠也さんは元から魚を食べないから、と特別に教えてくれた。最後に
「ま、とるだけで食わんのんやったら、なんも怖いことなんじゃけどな。」
と笑っていた。本当かどうかは分からない。

